東日本大震災から3年の今日、色々と思うことがありました。
朝、西日本新聞の社説に「かぜのでんわ(いもとようこ作絵、金の星社)」という絵本のお話が載っていました。
たぬきの子が受話器を取りました。「お兄ちゃん、早く帰ってきてよ。さびしいよ。僕、いい子にするから」。次の日はうさぎのお母さん「もしもし、坊や。いつものように『ただいまー』って帰ってきてちょうだい」雨の日、きつねのお父さんは泣きました。「俺、どうしたらいいんだ。おまえがいないとなんにもできないんだよ」。ねこさんは祈るように問いました。「神様、教えてください。人はなぜ死んでしまうのですか?なぜ生まれてきたのですか?」
この文章全てに切なくなりました。
突然居なくなってしまった大切な人に伝えたい言葉。
絵本にはモデルがあるそうです。岩手県大槌町に実在する「風の電話ボックス」東日本大震災の後、ガーデンデザイナーの方が自宅の庭に設置した、黒電話。その横には「風の電話は心で話します」の記載。
何も伝えられなかった、こんな日が訪れると思わなかった、だから一言でも風に乗せて何かを伝えるために、この線のつながっていない黒電話で話しに来る人が今も絶えないそうです。
先月は私も思わぬ別れがありました。別れはあまりにも突然でした。
今朝、この社説を祖母が読みながら、呟きました。「まだ、お姉ちゃんから電話がかかってくるような気がする」と。
ふと、ふと思ったのです。日本は宗教観といいますか、海外ほど信仰が深くありません。宗教には倫理や道徳、また生きる道を諭してくれます。
わかりやすいところで、キリスト教では「死を受け入れる」という言葉があるように、死ぬことを悲しまないで、天に召すのだからと言います。
映画でとても印象的なシーンがありました。
ニコラス・ケイジが主演している「Knowing-ノウイング」
この映画のラストでニコラス・ケイジの父親が言った言葉。
「死ぬことは終わりではない、始まりなのだから。」うろ覚えではありますが、そんな感じでした。
別に何かの宗教に入ってくださいというわけではないのですが、私を含め、日本人は死に対する恐怖や悲しみを和らげる術を知らないような気がします。
泣くことや悲しむことは決して悪いわけではないのですが、そこに囚われ続けることはとても辛い。だから解放させる方法を知っておいた方が気持ちは楽かなと。
ところが、祖母は「それはそれでいいんじゃないかなー」と言いました。
ほんとうに、本当に少しずつですが、泣く時間・悲しむことも少なくなり、徐々に楽しい思い出に返還されていけばいいんじゃない?ということなのでしょう。
予期せずして、大切な人を失った悲しみ、伝えたかった言葉はきっとその人に届いていると信じて。
久しぶりにこの曲を聴きました。
Queenの「Teo torriate(Let Us Cling Together)」という歌です。
タイトルを見れば「手を取り合って」となっており、おや?とお思いになる方も多いと思いますが、曲中に「手を取り合ってこのままいこう 愛する人よ 静かな宵に光を灯し 愛しき教えを抱き」と日本語で歌っています。
タイトルの「r」が一つ多いのですが、この曲を作ったフレディー・マーキュリーの強い想いが込められているとのことでした。
生と死は表裏一体。死を受け入れる、それはつらいことですが、手を取り合える人がいるだけで悲しみを軽減させることはできます。
私にできることは小さなことかもしれませんが、悲しみを軽減できるお手伝いができ、少しでも心が和らげばと思います。
3年前の今日、東日本大震災で亡くなった沢山の方々へご冥福をお祈り申し上げます。
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