先月に引き続き、それはもう更新が遅れに遅れまくってすみません ウワァァァァァァヽ(`Д´)ノァァァァァァン!
ネタは見付けておりますけども…と言い訳をする前に本題に移ります。
わたくしめ、習い事を増やしまして1つは以前ブログに記載しているバーレスク。それから殺陣教室に通っております。
友人一同から「何を目指しているんだ?」とよくよく尋ねられますが、「舞闘のできるアラフォー四十路です!(*´д`*)アハァ」
そんなくだらないことは置いておいてですね、わたくしの通っています殺陣教室はこちらです。
代表:内野 武先生。福岡・久留米を中心に、九州全域で活動をおこなっていらっしゃいます。
Facebook経由から殺陣教室の存在を知りまして、大橋教室の見学に向かいました。が…撃沈( ;´・ω・`)人(´・ω・`; )
皆様玄人でございまして、ここにど素人がお邪魔したら足を引っ張るだけだと恐れ慄きまして足踏みしました。
その後に、私の地元で殺陣サークルを開催するとのことで、開催初回から地道にお邪魔しております。
ある日、仕事帰りに急いで向かいますと、楽しそうなお話が聞こえてきます。?と思うと先生と初めてお目に掛る方がいらっしゃいました。その日のゲスト業界では米ちゃん、と呼ばれていらっしゃる米里様。本職は大道芸です、と素敵な笑顔でお伺いしましたが、博多忍塾 塾長でもいらっしゃいます。
内野先生と米里様の殺陣も型が違いまして、とはいえ目指すものが同じだと型がどうこうというところは関係ないように思えました。
型というか流派が色々あるのだと、その日に知りました。
内野先生から米里様を知り、そこから立石 道淳様のFacebookに記載されている内容に共感しまして、それが今回の本題です。
立石 道淳様:九州忍者保存協会 佐世保支部長、ハウステンボス維新館 NPO合気新道 総師範、ハウステンボス 国際武道場 維新館 専任師範
以下は立石 道淳様が記載されていた記事をそのまま転載しております。
※立石様、掲載許可をありがとうございました。
刀の切っ先でコマを回す米ちゃん。今回はハウステンボスで3日間ミニミニパレードを演出した。2日間はピエロとジャンボ船長。3日目は和芸のチンドン屋。彼らはプロだと改めて思った。見えないところで努力の連続。下積みをしっかり積んでいる。それでも未だに自分は下積みだという姿勢を崩さない。
私は若い人に下積みの意味を今一度考えて欲しいと思う。
それは、今の世の中が2極化しているからだ。
アマチュアとプロの2極化。
バイト、パート、契約社員、派遣社員というものが世の中にドンドン増えて来て、その暮らしに麻痺つつあるように感じる。
正社員になりたくてもなれない。そういう人もいるだろう。
しかし、どこか心の中で正社員を避けてないだろうか?
それは責任が重くなるからだ。
正社員になれば自分の時間より企業の時間が優先される。
自分の暮らしより企業の成果を求められる。
だから、都合のよい仕事を探す。
しかし、世の中はプロを求める。これは正社員に限らない、事業主もそれ以上にプロフェッショナルを求められる。
プロとは下積みの経験がないとなれない。
何故ならそれだけ厳しい世界だからだ。
芸能の世界ではスポットライトの中心に立つのもテレビや雑誌で取り上げられるのもホンの一握りだ。しかし、彼らの周りには無数のプロがいる。その下で支えるプロがいる。目立たない世界で誇りを以て努力を惜しまないプロがいる。
芸能の世界だけではない。すべての仕事や事業に共通するプロフェッショナルの魂だ。
世の中はドンドン2極化してゆく。
アマチュアで一生を終えるのもよい。自己満足だってよい。それでも生きて行ける社会になっている。
でも、本当にそれでよいのか?
私は思う。
下積みとは「人の下で踏まれる」という事だ。
組織や社会やそうした中で若い内はドンドン踏まれるべきだ。
麦の穂は踏まれて強くなる。
20代は我武者羅に働いて踏まれ、30代は頭をもたげて更に踏まれよ。40代は進んで踏まれ、50代はそれでも踏まれよ。
そうして強く強く自分を育てる者がプロフェッショナルに育ってゆく。
プロフェッショナルとは人間の誇りだ。
矜持だ。
矜持を持つから本当に他人の喜びを我喜びに変えられる。
他人の苦労を大切に思える。
立石様の仰る通り、雇用形態の変化が与える影響は大きいと感じます。
私も転職の難しさと正社員雇用の無さに驚きを隠せませんでした。
特に私の資格では行える仕事の幅が狭く、それだけでは仕事に就けないことも理解していましたし、かといって一般の事務業務ができるかと言われると年齢・スキル共に厳しいことも知っていました。
30代後半から派遣社員・パートアルバイトといった色々な雇用形態で働くことになりました。
大変でしたし、実家で親がいたから凌げたのだと今は本当に感謝することができます。
その苦労や経験したことが今も糧になっていると思えます。
だからこそ尚更正社員を渇望し、しばらく正社員でなかった期間があったために正社員となった時の責任の重さに自分は大丈夫なのか?と葛藤することがありました。
働きお金をもらうこと、それは簡単なことではありません。
働くに至るまで、その仕事ができるようになるには踏まれる・揉まれる・罵倒もされるのです。
それはつらくてきついのは当たり前。
内野先生が仰いました。「努力する人はМな人が多いですよね」
はい、私もそう思います。
今できるようになったことだけでは満足しない。もっと先、次へ進みたい。そこにはゴールはなく進み続けること。
おそらくプロの方にはゴールはなく、飽くなき探求心があるのだと感じます。
仕事をただお金を稼ぐだけの道具としてみるのか、否か。
働くことは決して簡単なことではありません。まして自分が望んだ仕事に就けるとも限りません。その中で何をどう考えるのかは自分次第。
最近の若い人には諦めるのが早いイメージがあります。
努力なしに諦めるのは違うように思えますが、努力が面倒なのか、叶わなかった時のイメージが先行するのか、理由は分かりません。
では何に力を注いでいるのでしょうか。
こうやって今の若い人はと言っている時点で私も年を取ったな、と感じざるを得ませが、考え方の根本が違ってきていることは確かです。
つらいことや厳しことから逃げ、楽をすることばかりを望んでいると今後の日本はどうなっていくのかな?と少し怖くなりました。そんな時に立石様の記事を見付けました。若い人にこそ知ってほしい内容だと思い、掲載許可をいただきました。
内野先生の殺陣教室にも米里様が行っているちびっこ忍者アカデミーにも小さな子どもたちが沢山集っていました。大きくなるにつれて忘れていきそうですが、何かに夢中になること、頑張ることは決して無意味なことではないとどうか知ってほしいと思います。
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