えーっと、雨です。
梅雨入りしたのにあまり梅雨というお天気に遭遇してないように思える今日この頃。皆様いかがお過ごしですか?
さて、6月に入り二回目のブログです。
とうとう来たか!!!と思われる方も多いと思いますが、そう「X-MEN: フューチャー&パスト」です!!
先日もご来店いただいたお客様から「マニアックですね~」とありがたいコメントをいただき、そしてスタッフ紹介画像にもコメントをいただき(そこはそっとしておいてください…(;´∀`))ありがとうございました。
まず、「X-MEN」と聞くと単純にアメコミの実写版、とだけ想像なさると思いますがまさにその通りです'`,、('∀`) '`,、
上下を見比べると、もう誰が誰で誰なんだか???(;´д`)トホホ…
私個人はアメコミは好まず、アメコミ実写版の映画が好きなのです。この「X-MEN」もアメコミより、実写版が好きなんですよ。原作と同じストーリーで進んでいるのか?それは私にもわかりません。ごめんなさい。
なお且つ、一般的には「SFXのアクション映画なんでしょう?」と言われてしまうと…(´;ω;`)ウッ…そ、そうですね、と言わざるを得ませんでしたが、今回は、今回はそうは言わせませんよっヽ(`Д´#)ノ !!
YouTube: 映画『X-MEN:フューチャー&パスト』日本オリジナル本予告
映画はスピンオフを入れて7作品です。
今回の7作品目は副題通り未来と過去。この作品に関しては初めての人がこれだけ観ても十分に楽しむことができます。ただし、キャラの立ち位置が分らないってとこが問題ですが。
X-MENをざっと解説すると「突然変異を起こした人間達が織りなすヒューマンドラマ、いやアクションドラマ」という感じです。
※以下からは映画のネタバレが含まれます。ご注意ください。
ですが、今回は特にこの部分が熱く掘り下げられていました!!
マ イ ノ リ テ ィ
X-MENとタイトルになってますが、性格にいうとミュータントたち(突然変異した者たち)が主人公ですよね。
このミュータントは二つに分けられます。
マグニートーをはじめとする超人的能力で人間社会を支配しようとするミュータント・テロリスト。
これに対抗するのが、能力の正しい使い方を教えるために学園を開き、彼らを指導するプロフェッサーXが結成したX-メン。
いつもはこの二大勢力の争いなのですが、フューチャー&パストに関して言うなれば、争っていたことはなんだったのだろうか?それは意味があったのか?
彼らが戦う理由の根本はなんなのか?
それは差別なのです。その特殊な能力から将来、一般の人間が排除され、ミュータントに乗っ取られてしまうのではないかと忌み嫌われています。このミュータントと一般の人間の紛争は、現代の人種差別、アメリカでのマイノリティたちが経験したことだといわれています。
なので、この映画を「マイノリティの金字塔」と言う人もいます。
黒人差別・ユダヤ人差別・同性愛差別、ありとあらゆる人種差別が組み込まれています。
映画の中で、マグニートーを演じているイアン・マッケランは自らがゲイであることをカミングアウトしており、演じる上での感情の表現方法などを監督や他の出演者に指導することもあったそうです。
また、このキャラクター、マグニートーの幼少時代、ユダヤ人としてナチスの強制収容所に収容されている経験もあり、差別に力で対抗しようとする経緯も描かれています。
プロフェッサーがその能力を表現する時に使う言葉は「GIFT」。神から与えられたギフトなのだから、と言います。力を正しいことに使う、そうすることで人と共存していこうと考えています。
全く正反対の二人、対立していた二人は最初は親友だったのです。二人は考え方の違いから違う道を歩みことになりました。※ここはX-MEN: ファースト・ジェネレーションをご参照ください。
プロフェッサーとマグニートーこの二人にはモデルがいるとのことでした。
それは…キング牧師とマルコムX。
黒人差別を無くすためには暴力的な手段もやむを得ないとしたマルコムXと、非暴力主義を貫いたキング牧師。
あぁ、とてもとても納得できる。
ミュータントという形を介してますが、これは立派な差別を描いた映画だと感じたのです。
という流れから、今回のお話はミュータントを完全に排除しようとするトンデモナイ敵が現れます。それは人間が決めたことであり、その敵を作りだした原因を過去に遡り止めようとするのです。
今回のキーマン、いやキーウーマンの青い肌のミスティーク。
彼女は誰にでも変幻自在。
青い肌のままの自分を自分として認めてくれたプロフェッサー、マグニートーどちらにも想いを寄せます。そして、対ミュータント専用のマシンを作っている博士の殺害を企てます。その間、その博士は沢山のミュータント達を捕獲し、その能力を研究するためにミュータントたちを殺害していたのです。
この部分はまさにユダヤ人の大量虐殺やナチスを彷彿とさせました。
この企てを阻止すべく、敵同士だったプロフェッサーとマグニートーが手を組みます。ファンにとってみたら、そりゃあもう キタ━━━━━━━━m9( ゚∀゚)━━━━━━━━!!
最後の砦を守りながら、次々と仲間たちが倒されていく中でマグニートーは死を覚悟し、無言で戦いに行く。
深手を追い、瀕死の状態でプロフェッサーのもとに戻り、私たちが戦う必要があったのだろうか、済まない。と、あのマグニートーがプロフェッサーに謝罪するシーン。
。゚ヽ( ゚`Д´゚)ノ。゚(゚ `Д)ノ。゚ヽ( )ノ゚。ヽ(Д´ ゚)ノ゚。。゚ヽ(゚`Д´゚ )ノ゚。
もう、もう、涙なしには観ることができませんでしたょ(`;ω;´)
最後の結末は…えーっとえーーーーーっと過去に遡って歴史を変えちゃったので…
工工工エエエエエエェェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェェエエエエエエ工工工
です、そうなんです。
分かりあった二人の握手なんて、それはもう無かったことですょぅヽ(ヽ゚ロ゚)ヒイィィィ!!
全てが最初に戻り、前作で死んでしまったキャラクター達も出てきていて、あれ?今までの歴史は?あれ?背景は?とかとか思うことは満載すぎて、立ち直れない感が否めなかったのですが…(´・д・`)
まぁ、それはそれとして、良しとしましょう┐(´∀`)┌ハイハイ だって、えすらごとなのでハッピーエンドがいいもんねっ( ・∀・)アヒャ
マイノリティに戻りますが、日本国という国も普通ではないこと、一般的ではないことを忌み嫌う傾向があります。
みんなと一緒が大好き。
みんなと一緒だと安心するんでしょうね。最近は個性を大事にするため?のゆとり教育だとかありましたけど、結果としては自我が育つ前に躾や我慢させることを覚えさせずに我が儘さのみが残ってしまったように感じます。
忍耐・我慢することの大切さ・統率性などの力が大幅に欠落しているように思えてなりません。
個性は我が儘とは違うのです。
躾の根本・人としての生き方や周りに迷惑をかけないこと、それを理解してからの個性や自己主張はするべきでしょう。筋の通らないことを押し通すことは単なる我が儘です。
日本は生ぬるいお湯のような国。差別が全くない訳ではありませんが、自分の置かれている有難い、恵まれた環境を今一度見直し、世界に目を向ける必要性を感じました。
世界は広く、いろんな想いをしている人たちがいること。そしてその歴史を少し知るだけでも見識は変わってくるということ、映画は視覚で捉えることができる有難い産物です。
単なるSFXとしてではなく、すこし違う視点から観ていただけたら幸いです。
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