福岡宝石市場スタッフ・ブログ

2018年2月28日 (水)

「とり」という言葉 「鳥」と書いたら詩的なのに「鶏」と書いたらおいしそう

なんと。
前回の初ブログのタイトルは「ハッピーサウィン!」。
そして今は2月。のフィナーレ。
10月の初ブログから全く記事を書いていない……?
私は一体何をしていたのか。
自宅でうどんを粉から打ってごぼう天うどんを作ったり、大好きな香草を沢山まぶしてハムを作ったり、そのハムを使ってやっぱり粉から打ったパスタ麺と合わせてカルボナーラを作ったり、ネタにできそうなことがない訳でもなかったのに。
ではそれらのネタを使ってお料理ブログでも書こうかな。というのは作ったその時に考えなくてはいけないことであり、作ったごはんは全てお腹に入って消化されて元気な私の栄養になりました。
今の私の写真フォルダには日本各地の花鳥園や鳥カフェを巡って趣味で撮ったフクロウの写真しかない。


という訳で、本日は鳥の話です。


唐突ですが、私はフクロウが大好きです。

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一番好きなのはメンフクロウ。
何年か前まではGoogleで「メンフクロウ」という単語を入力したら、検索候補欄の上位に「メンフクロウ 怖い」という検索ワードが表示されて非常に悲しかったものです。最近ではこの通り。

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「メンフクロウ 怖い」が候補の順番として下位になりつつあり、更に「メンフクロウ かわいい」というポジティブな検索ワードの方が上位にあるようです。メンフクロウの魅力が正しく認知されているようで喜ばしく思います。

近年じわじわとフクロウの人気が上昇中。それ以前にも、フクロウは「福朗」など縁起の良い当て字で表記され「福を呼ぶ鳥」として愛されている鳥でした。

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しかし、実は日本でフクロウに対する良いイメージが定着したのは結構最近の話であったりします。
フクロウは漢字で書くとこんな字です。

「木」の上に「鳥」に似た字を書いている。フクロウは木の上にいる鳥だから。
と思いたくなるのですが、この字の成り立ちについて古い中国の本(「説文解字」)には「不孝の鳥なり。日至に、梟を捕えて之れを磔(タク)す(訳:フクロウは親不孝の鳥である。夏至の日にはフクロウを捕まえてはりつけにする)」と書かれています。悪鳥と見なされたフクロウを木にはりつけにした姿を現しているのが「梟」という字だというのです。(※諸説あるようです)

フクロウの語源について、古い時代の日本では「父母(ふほ)喰らう鳥」というところから来ていると言われていました。
これは中国から伝わってきた考え方のようで、どうも中国・日本だとフクロウという鳥は親殺しをする不孝者な鳥というイメージだったようなのです。
実際にはフクロウはそんなことをする鳥ではないのですが。

あの古典文学の名作「源氏物語」の本文にもフクロウは3か所出てきますが、どれも不吉で不気味な様子を表現する時に文中に登場しています。
現在では「福」の鳥として愛されているフクロウ、昔は随分嫌われ者だったんだなあ……とフクロウ好きとしては悲しくなってしまいます。
「乱世の梟雄」なんて言葉で「梟」という字が熟語として使われますが、「梟雄」というのは「残忍で強く荒々しい人間」を意味する言葉。
恐ろしい鳥というイメージが払拭されつつある現在でも、熟語を見れば昔の悪いイメージの名残が感じられます。


最後に、フクロウではないですが万葉集に登場する鳥の和歌を一つご紹介。

【万葉集 巻5 巻8 1473】
橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き

【現代語訳】
橘の花が散る里のほととぎすは、片割れを恋いながら鳴いている日が多いことだ。

万葉集を編纂した大伴家持の父、大伴旅人は武人としての性格が強い人であり、大変な愛妻家でもありました。
彼の妻・大伴郎女は大伴旅人が大宰府の長官に任じられ、都を離れて間もなく亡くなってしまいます。以降、旅人は深く落ち込み、亡き最愛の妻に対する思いを詠んだ歌を多く残しています。

上に紹介した歌は妻を亡くした後に弔問の使いが来訪した際に詠んだものです。
橘の花のような妻が散ってしまった里で、自分は毎日彼女を恋いながら泣いている、という比喩で癒えない悲しみを歌にしています。
また、ほととぎすには「しでのたをさ(「死出の田長」)」という異名があり、古くは死者の魂との結びつきが深い鳥だと考えられていました。都から遠く離れた大宰府でほととぎすの声を聴きながら、もう二度と会えなくなってしまった妻に自分の声や思いを届けて欲しいと思っていたのか……と旅人の胸の内を想像してしまいます。

本日は大好きな鳥の話を書きました。
3月は毎年私が楽しみにしているアイルランドのお祭があるので、来月はそのことをブログに書けたらいいなと思います。